16年
うーん。
もはや自分の家のもののようであるような台所にて。
新八は非常に困っていた。
居間の時計を見あげる。銀時はいない。
「神楽ちゃん」
神楽は正座をしてテレビに釘付けになっていた。画面にはダチョウの親子(たぶん)が映っている。
「ちょっとさぁスーパーまで行ってくるからお鍋見ててね。すぐ帰ってくるから。食べちゃだめだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
返事はない。
新八は構わず財布を持った。
もうすぐ銀さんも帰ってくると思うし。
ここで、少し気分が重くなった。
あの夢見の悪かった明け方。それ以来、銀時を見るたびに気分が暗くなる。
その原因はわからない。
むしろ考えようとしなかったという方が正しい。
なるべく銀時と顔を合わさないように家事に勤しんだ。仕事のときはなるべくその仕事に没頭するようにし
た。
そして、あれ以来ここには泊まっていない。
どんなに遅かろうとも、なるべく理由をつけて家へと帰るようにしていた。
姉上の仕事が休みなので。電気料金の徴収にくるので。豆腐の賞味期限が今日なので。
なるべくばれないようなもっともらしい嘘を新八はいくつも考えていた。銀時は何も言わなかった。
全てが自分の思い違いであることを願った。
しかしどこか期待しているところも、微かにあった。決してそれを自分自身で認めようとはしないけれども。
それでもやはり、思い違いであることを心の底から、切に願っていた。
(だって・・ぼくは男だし)
新八は銀時のことを考えるまいと今日の献立を思い出す。財布を開けてお金を確かめた。
「じゃあ行ってくるね」
引き戸に手を掛ける前にからりとそれは開いた。
あ。
「・・・おかえりなさい」
んー。
自分よりもずっと背の高い銀時を新八は見上げる。無表情のときの銀時の顔は結構おっかない。
銀時はぼりりと頭を掻いた。
「どっか行くの?」
財布を見ている。
「あ、ちょっとスーパーまで」
銀時は相変わらずテレビの前から動かない神楽を見やった。新八はその隙にするりと外へと出る。
かぶき町の夕暮れ。それはからりと明るい。
「すぐ帰ってきますから鍋見ててください」
今日は暖かい。新八はとんとんと草履に指を入れる。
「あ」
「乗せてく」
銀時は踵を返した。
「俺ぁ腹減ってんだ。帰ってくるまで待ってらんねーよ」
新八は少し眉を顰める。どきりとした。
神楽ぁ、鍋焦がすなよ、あと食べんなよ、ちょっとでも食べんなよ、だからといって飲むんじゃねーぞー
銀時はぼんやりした顔で先を歩く。カンカンカンと階段が音を立てる。
新八は体が強張った。自分がえらく緊張していることに気付いた。
唾を飲み込むとごくりと喉が鳴った。
道すがら二人は無言だった。もちろんいつもがこうだ。
ヘルメットと風圧とエンジンの音のせいで会話がままならない。
新八は銀時の背中を何気なく見つめていた。両手はサドルを掴んでいる。
痩せているけど意外と広い。
思わず、触れてみたくなった。だから何でもないように手を置いた。
あ、硬い。
「――――」
銀時が何かを言った。聞こえない。
新八はぼんやりと肩甲骨から肩甲骨までをすすっと手でなぞった。
ごつごつしている。
ぱたぱたぱたと銀時の着物がはためく音が鳴る。
とんがっている肩甲骨を摘んでみる。くにっと皮が薄い。
ギッ
突然銀時がブレーキをかけた。
「わっ」
思わず前へつんのめって銀時の背中に顔がぶつかる。
ブンブンブンブンブン
「なあに?」
銀時が後ろを向く。
あ。いや、べつに。
新八はその意外な顔の近さに思わず頬が熱くなった。
下を向く。手はぱっとサドルに戻した。
銀時はそういう新八を訝しげに見つめた。そしてサドルを掴む新八の手を掴んで無理矢理自分の腰に回し
た。
「わっ」
「そんな乗り方16歳がやるもんじゃあありません」
あぶねーから。
銀時が何を言おうとしているのかわからなかった。しかし別に聞き返そうとも思わず黙ってくっついた。
ブブブブ
微かに凭れかかる。
あ。
硬くても温かいんだな。
新八は目を閉じて銀時の心音を聞こうとした。
しかしそうこうしている間にスーパーに着いた。
キキっ
駐車場に止めると銀時はヘルメットを脱いでさっさと中へ入ってしまった。ヘルメット通りに跡の付いた頭にが
しがしと指を入れる。
新八は少し残念だ、と思っている自分に目を丸くした。そしてすぐにぶんぶんと首を振った。
おかしい。こんな自分は、絶対におかしい。
背中に汗が垂れるのを感じた。
おかしい。おかしいって。なにこれ。
(残念がるところか?!ここは?!)
「間違っている・・」
胸が逸る。涙が出そうになった。なぜだか。
しかしここで泣くわけにはいかない。あらん限りの声で叫んで頭を掻き毟って足をばたばたさせて座り込んで
泣きじゃくって。そういうことをするわけにはいかない。また、そんなことしたって解決にはならない。
16歳。しかし16年の中で、姉との閉鎖的な生活の中でこういうことは今まで経験したことがないのだ。
落ち着け。落ち着くんだ。ぼくはツッコミだ。だから落ち着け。
男が男を気にかける・・・そんなことはふつうではない・・!
新八は自分が子供だと改めて感じた。何も知らない。こういうこと。どういうことなのだろうか。
深呼吸をしてスーパーへ入る。冷房の冷えた風を足首に感じた。それは全身を駆け巡って汗をかいた背中
を冷やす。
途中で銀時が子供に混じってお菓子コーナーでしゃがんでいるのを見つけたが無視した。
銀時は新八に気付いた。無視したのには気付いていなかった。
一番小さいバーモントカレーの甘口と酢コンブとらっきょうをカゴに入れてレジへと向かう。
おばさんが会計を告げる瞬間に不意に銀時がスイカバーをカゴヘ放り込んだ。
「あ!ちょっと!」
それは機械的なおばさんの手によって新八に有無を言わさずに享受される。
新八は銀時を睨んだ。それはスイカバーのことだけの意味ではなかった。
大げさに溜息をつく。
銀時は知らん顔してそっぽを向くと、レジのおばさんから黙って袋を受け取った。
てんで当たり前のように。