酔っ払いのうそ
おいおい。またかよ。またなのかよ。
志村新八は玄関にだらりと倒れた坂田銀時を眉を顰めて見下ろす。午前2時。既に自分は寝巻きだ。お
え。時折でるその蛙を潰したような(潰したことなんかないけれど)声をさせるたびに勘弁してくれよと思う。今
ここで吐かないで下さいよ。がまんですよ。自分のげろまみれな姿を想像しておええと思いながら銀時の肩
を担ぐ。重い。銀時は自力で歩く気はてんでないらしい。テレビではテニス中継が静かに流れている。顔を
掠める銀色の髪の毛は臭かった。体は冷たかった。外のどこかで一眠りしてきたのだろうか。ばっかじゃねえ
のまだ寒いのに。新八は言葉も悪く毒づく。ふわふわの髪の毛が鼻の前をうろちょろするものだからくしゃみが
でそうになった。銀さん、お風呂どうしますか?昨日も入ってませんよ(だから臭いのか)んー?誰ェ?まったく。
帰ってこれたことが奇跡的だ。誉めるならここだけかな。新八は溜息をついてもうこのまま玄関に置いてって
しまおうかと思った。きぼぢわるい。ぽつりと聞き取れないぐらいに小さく漏らした。え。その瞬間に一気に銀時
は胃の中のものを外へ戻した。びちゃびちゃびちゃ。床がげろまみれになり新八の寝巻きをほとんど液体のみ
のそれは汚す。新八は何も言えなかった。臭い。臭い。つられそうになったのを辛うじて押さえた。臭い。汚い。
ばっかじゃねーのほんとうに。もういやだ。臭い。銀時はぐたりと新八に身を任す。新八は乱暴に銀時をソファ
に寝かせて洗面所へ向かった。時計は2時半を指している。
「新ちゃん」
風呂場の外から低い声がする。新八は答えなかった。黙って体を擦る。いい匂い。体を洗うのはこれで2回
目だ。
「新ちゃん、何でこんな時間に風呂入ってんの?」
ざぶんと体を流す。そして泡もまだ残ったままに湯船に入った。覚えてないのだろうか。さっきの失態を。新八
は口まで湯に沈めた。ぶくぶくと息を吹くと泡が出る。ぶぶぶぶぶ。
「俺やっちゃったかなァもしかして」
ぶぶぶぶぶぶぶ。
「なァ。うんとかすんとか言ったらどうなのよ」
ぶはぁ。湯気のせいで呼吸がし辛い。新八は立ち上がってずっと上にある窓をがらりと開ける。
外に顔を出して息を吸った。ふぅーとゆっくり吐く。湯気と一緒に白い息は歌舞伎町に消えた。
がらっ。
新八は振り向かなかった。小さく口笛を吹く。ひゅぅ。口笛は満足に吹けなかったことを思い出した。
銀時は黙って椅子に座った。ざばん。たらいで湯船の湯を体にかける。あっちぃなァ、じじぃじゃねんだから。
湯船の蛇口を捻って水を出す。
新八はそれを見て黙ってそれを閉めた。
「てめェ。なにしゃらすんだよ」
銀時はぐるぐる蛇口を捻った。
「ぬるくなるじゃないですか」
新八は間髪いれずにそれを戻す。いいから早く髪の毛を洗えよ。
「お湯に慣れてないだけですよ」
銀時は黙って2,3回湯を体にかけて湯船に入ろうとした。新八は立ち上がる。
しかし新八が湯船から出ようとしたのを銀時は腕を掴んで制した。ざぶん。浴槽は深さがあるのに随分と狭
い。男二人が入るのには窮屈すぎる上にどこか奇妙だ。
「僕はもういいですよ」
銀時は腕を離さない。向かい合う形でぴったり膝と膝がくっついたこの光景は非常に滑稽だ。銀時は眼の
落ち窪んだ顔でじっと新八を見る。その顔はひどいものだった。
足の指先が銀時の腹に触れている。銀時の足も新八の腰に触れていた。ざらりとすね毛の感触がある。
「もうのみません」
っはっ。
「嘘ばっか」
銀時はだらりと腕を離して湯船の外へ出した。新八は開いていた膝をそっと閉じた。
「うそじゃねーよ」
銀時はふいに新八の膝から脛をなでた。つるりとしている。その感触に少し欲情した。キスでもしてしまおうか。
足の指で腰をすこし押してみた。硬い。女とはぜんぜん違う。
新八は気にしていなかった。銀時が自分に欲情しているとは気付いてもいない。お構いなしにまた口元を
湯に沈めた。ぶぶぶぶぶ。
「銀さん」
今日こそは頭洗ったほうがいいですよ。くさいですよ。
湯に濡れた新八の唇に銀時は少し見惚れた。
はァ?
「1日あらわねーほうが天パにとっちゃいいのよ、しっとりして」
新八は目に見えてわかるような呆れた顔をした。天パじゃねー奴にゃわかるまい。
銀時はそっと脛を弄っていた手を太腿に這わせた。新八はここでちょっと困った顔をした。
あーいいねェ。そういう顔すげェそそるよ。
「銀さん」
「僕は飲み屋のねーちゃんじゃありませんよ」
湯の中で手を払う。ありゃ?
んじゃぁ酔っ払ったままにキスしたり抱きついたりしたら許してくれんのかな?銀時がやましいことを考えている
と新八は突然立ち上がって窓を開けた。肌がピンク。僕もうのぼせるからあがります。一気に湯気が外へ出
て行ってひゅうと冷たい空気が浴室に入る。銀時は何も言わなかった。やっぱすね毛まだ生えてないんだ。
「頭洗ってくださいね。」
「はァい」
銀時はぴゅいと口笛を吹いた。
あ。
新八は聞こえないふりをした。
浴室のドアが閉まる。ばたん。
新八は脱衣所で気付かれないように口笛を吹いてみた。やはり音よりも息の方が多かった。
溜息をつく。銀時に触れられた腰をそっと撫でた。のぼせそうなのは湯が熱かったからだけだったのだろうか。
残された銀時はざぶんと頭を湯にしずめた。いち、にぃ、さん。ぷはぁ。髪の毛を洗うのは4日ぶりだ。新八が
していたように口を湯に沈めて息を吹く。ぶぶぶぶぶぶ。湯は思っていたより熱くはなかった。体が冷えていた
から熱く感じていただけだったのだろうか。湯気もなくなり立ち上がって窓を閉めた。そのまま洗い場の石鹸を
手に取る。おれまだ酔っ払ってるからあがったら新八の布団に寝てやろう。うん。酔っ払ってるから。間違えた
んだ。そんでぎゅうとねーちゃんを抱き締めてるかのごとく抱き締めてやろう。うん。酔っ払ってんだ。おれ。そう
なるともう頭を洗うのも面倒くさくなり早くあがってしまいたかったが新八に臭いと言われたのを思い出して石
鹸を泡立てた。酔いは実を言うともうほとんどなかった。たぶん。